大阪高等裁判所 平成4年(行コ)47号 判決 1995年11月29日
京都市伏見区醍醐御陵東裏三八番地の五
控訴人
出野武
右訴訟代理人弁護士
岩佐英夫
同
吉田眞佐子
京都市伏見区鑓屋町無番地
被控訴人
伏見税務署長 福井大祐
右指定代理人
野中百合子
同
石井洋一
同
斎藤恒明
同
階戸武彦
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取消す。
2 被控訴人が控訴人に対し昭和五八年三月四日付でそれぞれした、控訴人の昭和五四年分の所得税の総所得金額を九二二万二八三一円、同五五年分の所得税の総所得金額を九一二万四三四一円、同五六年分の所得税の総所得金額を一〇七〇万三五三六円とする各所得税更正処分のうち、総所得金額につき昭和五四年分は二五一万二八一二円、同五五年分は二四一万〇七三五円、同五六年分は二〇七万一五四四円を超える部分をいずれも取消す。
3 訴訟費用は、一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文一、二項同旨
第二当事者の主張
次のとおり付加訂正するほかは、原判決「第二 当事者の主張」記載のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決一九頁六行目から七行目にかけての「小栗栖店を経営していた事実」を「小栗栖店並びに石田店を経営していた事実(ただし、石田店については昭和五六年一月以降の係争年のみ)」と改め、同八行目の「原告が」から九行目にかけての「また、」までを削除する。
二1 当審における控訴人の反論(実額の主張)
被控訴人の主張する同業者の「算出所得」は、「売上金額」から「売上原価」と決算書の経費の計から特別経費を控除した金額の合計額を差し引いた金額を記載したものであり、右特別経費は「建物の減価償却費、給料賃金、利子割引料、地代家賃、外注工事費、貸倒金、税理士報酬、固定資産除却損等」とされるところ、控訴人は特別経費として、左のとおり主張する。
(一) 利子割引料
本件係争各年度における利子割引料は、別紙利子割引料一覧表のとおりである。
(二) 建物の減価償却費
控訴人は、昭和四六年五月二四日に四〇〇万円で醍醐店の店舗を買受けた(土地建物を区分けしないで一括購入した。)が、税務署が定める再建築価格により計算すると、別紙「建物の減価償却費計算書」のとおりとなるから、右建物の減価償却費は次のとおりである。
(1) 昭和五四年分 五万六四四六円
(2) 昭和五五年分 五万六四四六円
(3) 昭和五六年分 五万六四四六円
(三) 貸倒金(北川武史に対する貸倒れ損失)
控訴人は、石山店を経営していた北川に対する書籍雑誌の売掛金約六〇〇万円を有していたところ、右北川が書店経営に失敗し倒産した昭和五五年一〇月の時点で回収不能が明らかになった。右未回収債権は控訴人の事業遂行上生じた売掛金等の損失(所得税法五一条二項)にあたるものであるから、昭和五五年分の必要経費として控訴人の所得から差し引かれるべきであり、仮に昭和五五年時点では回収不能が明らかでないとされた場合には、予備的に、取引停止後一年以上を経過した時点として、昭和五六年分の控訴人の所得から差し引かれるべき必要経費である(所得税基本通達五一-一三(1))。
2 控訴人の右反論に対する被控訴人の認否
(一) 控訴人の右1(一)ないし(三)の各事実をいずれも否認する。
(二) 醍醐店の建物の減価償却費については、控訴人主張にかかる所得額を前提に、同主張のような再建築価額により、これを計算すると、別表乙10(醍醐店(建物)の減価償却費の計算)のとおり、本件係争各年につき各四万八六〇四円となる。
第三証拠
原審及び当審における本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 次のとおり付加訂正するほか、原判決理由説示と同一であるから、これを引用する。
1 原判決二五頁八行目から九行目にかけての「被告の主張二2(三)(1)」を「控訴人の主張二2(二)(1)」と、同二七頁七行目の「小栗栖店が」を「小栗栖店、石田店(ただし、石田店については昭和五六年一月以降の本件係争年のみ)」とそれぞれ改め、同九行目の「石田店、」を削除し、同二九頁三行目の「石山支店」の次に「(乙九〇)」を、同五行目の「長岡店」の次に「(乙三一の五)」をそれぞれ付加し、同三〇頁六行目の「これを併せ考えると、」の次に「本件係争各年において、」を付加し、同七行目の「、長岡店」を削除し、同九行目の「小栗栖店」を「小栗栖店、石田店」と、「争いのある六店舗」を「争いのある四店舗」とそれぞれ改める。
2 同三一頁一行目から同三三頁二行目までを削除し、同三三頁三行目の「(3)」を「(2)」と、同三五頁六行目の「(4)」を「(3)」と、同三九頁四行目の「(5)」を「(4)」と、同四〇頁八行目の「(6)」を「(5)」とそれぞれ改める。
3 同三三頁四行目の「イ 原告は」から三四頁二行目の「存在しない。」までを次のとおり改める。
「イ 控訴人は、山科店を杉森貞夫の経営にかかるものであると主張し、この点に関する証拠(甲一七(杉森の陳述書)、一七一(控訴人の陳述書)、当審証人杉森、原審及び当審における控訴人本人の各供述)には、大要以下のとおり記載ないし供述が存する。
(イ) 控訴人は、前身の「文進堂」の在庫商品を約三〇〇万円で買取り、権利金一八〇万円を家主に支払って、昭和四九年六月、京都市山科区のダイコーショッピングセンターで書店「山科店」を開店したが、開店後間もなく応募した京都市伏見区小栗栖団地の公団の店舗に当選したので、醍醐店と右小栗栖店で集中して経営をしたいと考え、山科店を売却することとした。
(ロ) 杉森は、控訴人とは囲碁クラブでの知り合いであったところ、右山科店売却の話を耳にし、控訴人との間で購入の交渉をした結果、昭和四九年一〇月、控訴人から同店の営業を、権利金(一八〇万円)と商品及び備品を全部入れて四〇〇万ないし四五〇万円で買受け、控訴人にその内金として二〇〇万円を支払った(甲一四一)。
(ハ) 杉森は、<1>昭和五〇年八月二一日山科店の電話番号として表示された電話加入権を購入して以後これを使用し(甲一五九)、<2>昭和五〇年七月三日山科店(同店が賃借しているダイコーショッピングセンター)の向かいにある京都信用金庫山科支店に口座を開設し(甲一四三、一四四)(右口座には昭和五八年八月以降ダイコーショッピングセンター商人会の金券が入金されてきた。)、<3>昭和五八年七月同人名義で店舗兼居宅を購入し(甲三七、三八)、昭和五九年一二月右建物に「文星堂山科店」を移転し、<4>昭和五八年一二月融資を目的として民主商工会に入会し(甲一六一)、同月二七日国民金融公庫から金三〇〇万円の融資を受けた(甲一六二、一六三)。
ロ しかしながら、証拠によれば、次の各事実を認めることができる。
(イ) 控訴人は、本件訴訟に先立つ別件訴訟(京都地方裁判所昭和五三年行ウ第五号事件)において、昭和五四年三月二八日付準備書面で、昭和四九年六月一〇日開店にかかる山科店は控訴人の経営する店舗である旨主張している(乙一〇六)。
(ロ) 右イ掲記にかかる、<1>甲一四一については、同記載にかかる醍醐店及び石田店の開店及び閉廷時期等(醍醐店は昭和四六年八月開店(甲一六、一五七、)、石田大山町の石田店は昭和四五年七月開店、昭和四六年七月閉店(甲一五七、当審における控訴人本人)で、両店が併存した期間はないのに、右石田店閉鎖後三年も経過した昭和四九年一〇月二一日の作成日付のある甲一四一に併存しない双方の店名がゴム印で押捺されていて不自然である。)に照らしてその信用性には疑問が存する。<2>杉森証言によるも、山科店購入資金の捻出及び甲一四一記載の金額以外の残額金の支払いを示す証拠は他に存しない。<3>京都信用金庫山科支店の口座には本件係争年の後にダイコーショッピングセンター商人会の金券が振り込まれているうえ、その記載内容に照らして右口座が山科店の日々の売上や支払のための入出金等に利用されたものとは窺われない。<4>杉森証言によれば、杉森は、賃貸店舗である山科店の契約名義を控訴人のままとし、家主と控訴人との間の賃貸借契約書を見たこともなく、その内容を知らないでいたし、文具の仕入先にも杉森が店を経営していることを告げたこともない。杉森は昭和五八年一二月沢村に店を売却したというものの、その代金の記憶はなく、沢村の住所も知らないし、家主に右事実を告げたこともないこと、書店経営者が通常は会費を納入する筈の日本書店連合会や京都書店協同組合を知らず、その会費を納入したこともないことが窺われる。さらに<5>杉森は、別件事件において、昭和六一年四月五日付で大阪高等裁判所に対して提出した陳述書(乙一〇七)において、昭和四九年一〇月一日かち控訴人に雇用されて山科店に勤務し、給料一〇万円を支給されていた旨記載している。<6>控訴人の人件費台帳(甲一三)にも昭和五四年一月から昭和五五年三月まで控訴人が杉森に対し給料を支払ってきた旨の記載が存する。
以上に照らせば、山科店は杉森が経営していたとの控訴人主張に副う前掲各証拠はにわかに採用できず、他に山科店が控訴人の経営でないことを示す的確な証拠は存しない。」
4 同三六頁四行目冒頭から同三七頁七行目末尾までを次のとおり改める。
「ロ 右イ(イ)(ロ)(ハ)について、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果、控訴人の陳述書(甲一七一)、当審証人藤本、同北川の各証言、藤本の陳述書(甲一八)、北川の陳述書(甲一〇七、一八六)、藤本に対する質問てん末書(甲一二六)等では大要以下のとおり述べられている。
(イ) 控訴人は、石山店の営業を所有していたところ、知人の北川が勤務先を辞めることになり、新たに職を探していたので、同人に対し二八〇万円で右営業を譲渡した。
北川は昭和五一年九月から昭和五五年九月まで「文星堂石山店」の屋号で商売をし、昭和五三年三月一四日以降石山店のすぐ近くにあった滋賀銀行石山支店寺辺出張所と取引をなしてきたもので、右銀行の預金元帳では頻繁に数万円から数十万円の入金が、他方で月六〇万円から一〇〇万円くらいの出金がそれぞれ記録されており、さらに右元帳では昭和五五年三月以降はマイショップ山科からの入金が見られるが、これは北川がマイショップ山科にスタンド卸をしていた分の入金である(甲一八一)。
(ロ) 石山店の経営は思わしくなく、取次店である大阪屋に対する支払も滞りがちで、昭和五五年九月末には大阪屋に対し九〇〇万円を超える未払残高があった(甲一五六の四)、そこで、北川は、控訴人とも相談のうえ、石山店を売りに出すこととし、新聞広告を出したところ、藤本が応募してきたので、店の権利を二八〇万円、在庫商品を三〇〇万円を超えたくらいの金額と評価して、藤本に売却した。
(ハ) 藤本は、北川が控訴人に対し立替金債務を負担していたことから、北川の了解のもとに、同人に代わって控訴人に対し合計五八〇万円ないし五九〇万円の金員を支払った。藤本は、北川から右店を譲受けた後、「文星堂石山店」の屋号でこれを経営してきた。
(ニ) 石山店の電話加入権の名義人は、昭和五一年一〇月二七日から昭和五五年一〇月一九日までは北川、昭和五五年一〇月二〇日以降は藤本であり(甲一五八)、料金も同人らが支払ってきた。
(ホ) 北川や藤本は、取次店である大阪屋との直接取引には担保や信認金の差入れが必要であるのにこれを提供する余裕がなかったことや、控訴人名義で取引すると売れ筋の書籍の仕入等に関し取次店に対する交渉力が増すこと等から、石山店の書籍雑誌については控訴人名義で仕入をなしてきた。ところが北川が代金の支払を滞らせたため、大阪屋が石山店に対し直接送本しないと言ってきたので、控訴人は、昭和五五年一〇月から、醍醐店に「文星堂外商部」という部門を設け、書籍雑誌を一旦醍醐店に仕入れ、それを石山店に回すようにした。
(ヘ) 昭和五七年二月五日以降、藤本振出の小切手が大阪屋京都営業所に交付され、仕入代金の支払を了している(甲一三三-昭和五七年二月五日、五月六日等)。」
5 同三七頁一〇行目の「乙三一の一ないし九」の次に「。なお、この点に関する当審証人藤本の供述はその内容に鑑みにわかに採用することはできない。)」を、同三八頁八行目の「考え難い」の次に「(当審証人藤本は、甲一九を藤本が所持していたことについてわからないが、同人の推測では、前の経営者の北川の書類がたまたま残っていたと思う旨の供述をなすところ、右供述はにわかに採用し難い。)」をそれぞれ付加する。
6 同三八頁一一行目の次に改行の上次のとおり付加し、同三九頁一行目の「(ホ)」を「(ト)」と、「右(イ)(ロ)(ハ)」を「右(イ)ないし(ヘ)」と改める。
「(ホ) 控訴人は、二八〇万円で北川に店の権利を譲渡したというものの、当時北川は無一文であったため、そのうち一〇万円の支払を受けたというのみである上、開店に際しての商品の仕入れや準備に要する費用を含めて控訴人が提供し、名義の書換料の支払を言われたら困るとの理由で店の賃借名義を控訴人のままとし、また仕入先の大阪屋との取引は控訴人名義でなされていたため、控訴人は大阪屋に対する北村の支払遅滞分約六〇〇万円を肩代わりし、北村からはその支払を受けないまま現在に至っていること(甲一七一、当審証人北川)、さらに、控訴人提出にかかる人件費台帳(甲一三)には控訴人は北川に対し昭和五五年一一月と一二月給与を支払った旨記載されていること(控訴人の陳述書(甲一七一)には右給与の記載部分は北川本人ではなく、その妻に対するものである旨の記載が存するが、採用し難い。)、滋賀銀行石山支店寺辺出張所の北川の普通預金口座から窺われる入出金状況(甲一八一、乙一一〇)や当審証人北川の供述とも対比すれば、右普通預金元帳の記載内容をもってしても北川が石山店の独立の経営者であることを示すものとは言えないこと等に照らせば、北川が控訴人から石山店の権利を譲受け、これを経営していたとについてはにわかに認め難いものがある。
(ヘ) 藤本は、石山店の権利を購入するための資金として四〇〇万円を叔父から借り、半分くらい返したというものの、その供述を覚えていない上、残金について現在に至るまでその返済をしていないし、また藤本が仕入れ代金として大阪屋に支払ったする金額と大阪屋の回答による文星堂外商部の決済状況とが合わないものがあるところ(甲一三三、乙六〇、当審証人藤本)、これにつき同人は控訴人を通じて決済していたので分からない旨供述するにとどまっており、さらに藤本は京都書店協同組合や日本書店連合会の名前は聞いていたことがあるものの、右組合等に対し会費等を納入したことはないというのであって(当審証人藤本)、これらに照らせば、北川から石山店を譲受け、これを経営してきたものとはにわかに認め難いものがある。」
7 同四〇頁四行目の「推認」を「推定」と、同四一頁一一行目の「甲八一の二」を「甲八一の一」と、同四六頁目四行目の「二2(三)(3)イ(ハ)」を「二2(二)(5)イ(ハ)」とそれぞれ改め、同四八頁二行目の「乙第六五号証」の次に「、原審における控訴人本人尋問の結果により成立の認められる甲第六六号証、原審証人河原林の証言、原審における控訴人本人尋問の結果」を付加し、同五一頁七行目の「二2(三)(3)ロ(ハ)」を「二2(二)(5)ロ(ハ)」と改める。
8 同五二頁八行目の次に改行の上次のとおり付加する。
「なお、控訴人は、スタンド卸として各得意先に書籍雑誌を卸していたが、この場合、通常、小売り価格の八五ないし九〇パーセントの価格で卸売りをしており、右卸売り部分の利益率は一五ないし一〇パーセント低下するから、被控訴人の主張する同業者率で推計することは合理性を欠く旨主張する。しかしながら、控訴人が右スタンド卸毎に伝票を集計して作成したとする帳簿(甲二の一、二)は、返本があった場合の記載や入金状況の記載がなく、控訴人本人において、つい面倒だから請求書を作ったときに、その請求書の最後の請求金額だけを記載したものだと思うと供述していること(原審における控訴人本人)に照らしても、右甲二の一、二は本件係争年度の控訴人の売上金額を証するものとはにわかに措信し難い。また右スタンド卸の得意先の一つであるとする岩田書房こと岩田正人作成の陳述書(甲一五一)もその内容において前記帳簿(甲二の一、二)と矛盾するものがあって、にわかに採用することはできないし、当審における控訴人本人尋問の結果及び控訴人の陳述書(甲一七一)並びに各スタンド卸先作成の陳述書(甲一六八ないし一七〇)も右説示に鑑みいずれも採用し難い。
さらに控訴人は、推計の基礎となる書籍雑誌の売上原価率については、日本書店組合連合会が昭和五七年一一月に全国小売書店取引経営実態調査し、報告書としてまとめた「全国小売書店取引経営状態調査報告書」(甲一九〇)に記載の基準によるべきである旨主張する。しかしながら、右報告書から窺われる、調査の目的、方法、対象者、回収率や回答内容等に照らせば、同記載にかかる粗利益率が正確性の担保された資料に裏付けられた客観的な数値であって、かつ控訴人との類似性が担保されているものとにわかに認め難いことからして、右控訴人の主張は採用できない。」
9 同五四頁八行目の「二2(三)(3)ホ」を「二2(二)(5)ホ」と、同九行目の「別表甲2の3、同3の3、同4の3参照」を「別表甲2ないし4参照」と改める。
10 同五五頁二行目の次に改行の上次のとおり付加する。
「6 建物減価償却費
控訴人は昭和四六年五月二四日土地建物を区別せず一括して醍醐店の店舗を購入したところ(甲一七六、一七七、乙三四の三))、右建物につき再建築価格により減価償却費を計算すると、本件係争各年分の醍醐店の建物減価償却費は、別表乙10のとおり、各四万八六〇四円となる(右金額は、当時の京都府の木造新築建物の一平方メートル当たりの工事単価に醍醐店の建物面積を乗じて算出した価額から控訴人が取得した時期までの期間の償却額を控除して得られた建物取得価額から残存価額を控除した残額に耐用年数に応じた償却率を乗じて算出した額である。)(甲一七八、乙三四の三、一〇八、一〇九)。」
11 同五五頁三行目の「6」を「7」と、同六行目の「7」を「8」と、同八行目の「4ないし6の」から一〇行目末尾までを「4ないし7の各金額を控除した金額である。したがって、昭和五四年分が一四五九万三八一七円、昭和五五年分が一四〇六万五八二七円、昭和五六年分が一三七五万五九四一円となる。」とそれぞれ改める。
12 同五五頁一〇行目の次に改行のうえ次のとおり付加する。
「控訴人は、売上金額から特別経費として利子割引料及び北川に対する貸倒損失を控除すべきである旨主張する。しかしながら、右利子割引料の基礎とされる借入金が事業の用に供されたものであるかどうかは明らかでなく、右利子割引料の金額の算出過程も明確でないこと(甲一九三(控訴人の陳述書)、七の一ないし一一、一八七ないし一八九によるも、控訴人主張にかかる右利子割引料の支出の有無及び特別経費該当性を基礎付ける事実を認めることはできない。)、また前記説示のとおり北川は文星堂石山店を独立して経営していたものではなく、右石山店は控訴人が経営していたものであって、北川が独立して経営していたとは認め難いから、右利子割引料及び北川に対する貸倒損失に関する控訴人の主張は採用できない。」
二 よって、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 野田殷稔 裁判官 神吉正則 裁判官 小野洋一)
利子割引料一覧表
<省略>
建物の減価償却費計算書
税務署が定める再建築価格(昭和44年当時)1m2あたり34,000円で計算する。
1階 34,000円×22.79m2=774,860円
2階 34,000円×21.13m2=718,420円
上記合計金 1,493,280円
※減価償却費の計算(耐用年数24年…甲第187号証
…減価償却資産の耐用年数等に関する省令第1条第1号別表第一)
1,493,280-(1,493,280×0.1=1,343,953
(取得価額) (残存価額) (償却の基礎となる額)
1,343,953×0.042×12/12×100%=56,446
(定額法による償却率)(使用月数)(使用割合)
(甲第179号証…前記省令第4条別表第9)
昭和54、55、56いずれの年も上記の金額となります。
別表 乙10
醍醐店(建物)の減価償却費の計算
1.昭和43年分における木造建築物の1m2当たり取得価額(乙108号証)
<省略>
2.控訴人が取得した建物取得価額の計算
<省略>
3.醍醐店の建物にかかる本件係争各年分の原価償却費の額
<省略>